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波乱万丈の人生物語(会社概要)

はじめまして!!

 

波乱万丈の人生を送りました、
オンライン講師のやまーだです。

 

現在、現役不動産営業マンでもあります。

 

まずは、このページに来ていただき
本当に感謝しております。

 

とても長文ですが、私の人生観を
ちょっとでもお付き合えてもらえたら、
飛び跳ねて喜びます^ ^

 

 

もともと、「楽しければいいや」という人生を
幼少期から送っていて、
高校卒業後、父親の勧めで、
専門学校に嫌々行きました。

 

そこから二転三転する
波乱万丈型の
転職人生を歩んできました。

その結果、様々なジャンルの仕事に携わって、
最終的には営業マンとして活動し、
いろんな方々とお会いし、
不動産営業というジャンルもあって、
収入も稼げるようになりました。

 

不動産会社を経営をしてからは、
98%紹介営業のみの実績。

 

こんな感じで紹介すると、
一見順風満帆に見えるかもしれませんが、

 

その裏では

 

二転三転の裏事情

 

初就職先でうつ病
父親が亡くなり、借金抱える
不動産会社入社7か月間、
営業数字が連続ゼロ

決して安泰とはいえない
地獄の日々を過ごしてます。

僕がどんな信念を持って
今の仕事と向き合っているのか、
一体なにを目指しているのかを
綴っていきます!

 

社会人になる時の話ですが
私は大学附属にある
歯科技工士専門学校に入学しました。

 

専門学校の時、超ダメダメ人間

 

当時は、やりたい事もなく
高校生のときは、
サーフィンとナンパに
明け暮れていました(笑)

 

※ナンパの話はまた今度にでも

 

そのまま、仕事をしようと考え
就職しようと決意したら
おやじから猛反対されました。

今まで、
何をやってもおやじに怒られない
そんなウダウダした生活をしていたので、
正直びっくりしました。

 

おやじは、叔父の代からの
カメラマンを引き継いでいたので
安定した職とは言えませんでした。

 

しかもちょうど、
バブル時代が弾けたせいもあり
就職難民が相当な数だったので
自分の子供には、手に職をもたせたい
そんな気持ちがありました。

 

おやじの仲間がなぜか?
歯医者が多い事もあり
金銭的に医者にはさせられないけど、
歯科技工士なら、金は出してやる!

 

かなり上から目線の発言でしたが
初めてのおやじの提案、願望だったので
素直に受け入れたんです。

 

が、しかし、、、

 

入学して、生徒全員が志というか
やる気満々な生徒をよそに
推薦で入学した私は
かなり温度差を感じました。

嫌々入学した学校というのは
「つまらない」の一言でした。
最初の専門学生1年の時は

 

楽しい事を優先にしたやまーだは
医療もなめていたし、
超適当な感じで授業を受けていた事
今でも覚えてます。

 

別でやりたくてやってるんじゃないし
別にどうでもいいやと
何をしても力が入らず
早く終わらないなぁ~とか
土日が楽しみで仕方なかったのです。

 

こんな適当にやっているやまーだは
当然の事ながら成績は言うまでもなく

 

最初の1年は、
27名のクラスでビリか
ケツから2番目でした(笑)

 

そして、1年生が終わりかけた時、
副担任に呼ばれ、

「やまだ!おまえ、このままだと
国家試験おちるぞ!」

「人生で、
本気で取り組んだこと
あんのか?医療現場はそんなに
甘くはないぞ!どうすんだ?」

 

「お前のそのいい加減な態度で
社会人になった時に
どれだけの患者が悲しむのか?
おまえわかっているのか?」

 

と親からも言われたことない
痛烈に胸に刺さる言葉でした。

 

勉強もそこそこ、部活もそこそこ
やり遂げたというなら
ファミコンのドラクエゲームを
完全制覇したぐらいだった(笑)

 

「これは、やべぇかもしれない!
このまま言ったら、社会人として
生きていけないかもしれない」

 

本気という言葉の定義は
その時は分かりませんでした!
とにかく、集中して、できる限りの
ことをやろう」と

そこから、
心を入れ替えて、
真剣に取り組みます!

 

と伝え、少しずつですが
今までの分を取り返せるように
時間をかけて、仲間にも聞きながら
歯科技工物や勉強にも取り組ました。

 

それに伴い、成績も上がるようになり
隣の座っていた女子は、
家から往復4時間かけてくる
くそ真面目な子(笑)だったのですが
凄まじいモチベーションで
成績も1位、2位を争う子でした。

 

その女子よりたま~に、
点数がよかったすると
かなり不満顔をされながら

「マジ~、負けるなんて・・・」

かなりの勝気の子だったので
鮮明に覚えてします(笑)

 

今まで、
おふざけな僕だったので
そりゃあ悔しい気持ちはでますよね汗

 

それぐらい、
勉強に費やした19歳の青春は
何とか国家資格を取得することが
できました。

 

ここが1回目
人生のターニングポイント
諦めずにやったという経験を
積みました。

 

社会人になり、

ラジオとの対話(うつ病)

 

ほっとした時間も束の間で
その後、就職しましたが、
現場の臨床(本物の患者を相手にする)
というのは、なんせしんどい!

 

とにかく、歯科症例が様々すぎて
対応するに、ほんと苦労しました。

 

専門学校で習う基礎的な事は
全く通用しない。

 

改めて、応用というか
考える力が必要なんだと感じました。

 

言われた事だけを
やるのは通用しない!

 

また凹みましたが
ここは、「もってるぞ俺!」
と一緒に働く先輩が
超優しかったのです。

 

「わーい、頼ってしまえ~」と
超楽観的な思考は、
相変わらずでした。

 

その先輩に助けられながら
2年が経過し、

 

ちょうど仕事に慣れてきたころ
だったのですが、
な、なん、なんと
信頼していた先輩が退社!

 

「ツイテル、もってるは
たったの2年で終了」

 

これが、かなり精神的にも
参りました。

 

甘ったれていたやまーだは
まずい、まずい、と思い、
どうしようかなぁ~と
そればっかり考えてました。

 

まじかー、後輩が入社しても
まだ、人を教える技術も
ないしなぁ~と
妄想を膨らませていたら、

 

そんなあまあまくんの
考える人に起きてしまう
最悪な出来事が・・・、

 

経営しているドクターから

 

「とりあえず、しばらく1人で
やってもらうから、大丈夫でしょ」

 

と簡単に言われ、
さらに、ひどいことが続き、

 

「それと、給料は時給制にするので
必ずタイムカードをつけるように」

 

え~えっ~、そんなアホなことあんのか?

 

とにかく、社会人3年目をなめているのか
まさかのパニック状態で、理解不能でした。

 

仕方なく、言われるがまま
泣き寝入りする状態でした。

 

人も雇ってくれないから
1人で仕事をすることが増えて
夜中の2時、3時は当たり前な日々。

 

残業続きで、時給換算なので
時間を稼げるという事なのに
全く嬉しくもない感情でした。

ただひたすらモクモクと
当時ビルの4階の歯医者の裏方部屋で
独りぼっちの状態で作業してました。

 

弱い自分がいたんでしょうね。
その場から
逃げ出したくて、逃げだしたくて

 

とうとう、我慢ができなくて

 

おやじに、
「おれ、歯科技工士は
全然向いてないよ、
だから辞めたいと」

 

と言いましたが、
当然、腐ったみかんのような
根性は当然見透かされており、
仕事は3年間やらないと分からないだろ!

 

あと、1年は死ぬ気でやってみろ!

 

と言われ、仕方なく続ける事にしました。

 

毎日来る日も来る日も
患者は増え続けて、
「なんでこんなに虫歯になってんだよ~」
「ほんと、歯を磨け!」と

 

一度腐った根性の心は、
まだ3年目のペーペー技術者のくせして
矛先は、患者のせいにする最悪な状況。

 

時には、
歯科技工物を作りながら
辛すぎて辛すぎて、

 

目からは、ぽたぽたと
目薬を何度も点眼したんじゃないかと
思うぐらい、

 

泣きながら毎日を過ごした日が
続きました。

 

2年半年ぐらい経過した時は、
とうとう「うつ病」になり、

 

独り言が増えて、
ラジオに話しかける状態まで陥りました。

 

しかもなぜ?
ラジオに話しかけている事が
分かったのか!
というと

 

歯科衛生士さんは、毎回歯の型をとった
モノに石膏(のちのち固まって模型になる)
を裏方の部屋にきて流しに来ます。

 

その時、ぶつぶつ言っている
私(やまーだ)がいたのですが

 

衛生士さんは、話しかけられたと思って

 

衛生士さん
やまだくん、どうしたの?何?
やまーだ
・・・・・

と言っても
何の返事もしない!

 

無視な状態が続いたのです!?

 

昼休みに
歯科衛生士さんに直接言われて
発覚したんです。

衛生士さん
やまだくん、たぶんね、
ラジオに話しかけてるけど、大丈夫なの?
やまーだ
え?マジですか?
全く気付いてないです・・・汗

精神的にも
フラフラな状態でいながら、
3年間仕事をする事が目標に
なっていた自分がいました。

 

「このままじゃ
俺はダメになる。
死ぬんじゃないか?」

と思ったほどでした。

 

体力も気力のない状態の中

3年間が経過した時に

おやじからは、約束は守る!
「やめていいぞ!」
と許可をもらいました。

 

「そのかわり30歳まで
好きにやったらいい!
その後は、
家を継いでもらうからな!」

 

「わかったよ!」と家業でもある
カメラマンになることを承諾しました。

 

その時の気持ちは、
当時は23歳で、
まだ7年間あるし、
好きな事やれるじゃん!

 

檻に閉じ込められた猿が
今日からは自然界の森で生活ができる
という嬉しい解放感に浸っていました。

 

相変わらず楽観主義の私やまーだですが汗

 

第二人生・飲食業界~超パワハラ職場~

 

その後は、人と触れたくて
触れたくて、仕方なく
飲食業界に飛び込みました。

 

25歳時には、三ツ星レストランに就職。
日本最高峰のサービスを学びたいと
飛び込んだ世界も、
スーパーパワハラ会社でした。

 

とにかく、ここで人としての扱い方が
酷すぎました。

 

ミスは絶対に許されない世界なんです。

 

それは三ツ星レストランなので、
わかるっちゃ、いるのですが、
教え方が昭和のやり方で
「見て学べ!」

 

全く教えるという概念がなく
とにかく盗め、盗むという世界。

 

そして、盗むこともすぐには
できないから、ミスの連発です。

 

毎回、上司からはお前は人間じゃない、カスだ!
と言われ、

 

日本人シェフとフランス人のシェフからは
二人ともフランス語で
ゴミだ!と言われ続けました。

 

※何を言ってるか意味すら分からずでしたが
罵倒してるだろうという意思は伝わりました。

 

さらに、ホールスタッフに
二言目(ふたことめ)には、

「おまえは、本気じゃない!」
「本気で仕事してないんだよ!」
「ふざけんなよ」

 

当時、専門学校の先生に言われたことを
本気という言葉を思い出しました。

 

本気というのはミスしない事?
いや、笑わない事なのか?

 

とにかく、何が正解なのか?
全く分からずに、笑いもせず
誰ともしゃべることもなく
淡々と仕事をこなすしか方法が
見いだせない状態でした。

 

こなすといっても、
毎回ちょっとしたミスでも
怒られるので、何をしても
ダメダメだったわけです。

 

ちょっとした事とは、
お皿を指定に場所に戻すときに
音が鳴ったら、
おい!
微音も許されない!

 

洗い物に、渡すときに、
音がなったら、
おい!
同じく微音も許されない!

 

料理をもっていく
プラトーという
鉄のお盆があるのですが

 

ちょっとでも
そのお盆に指紋があると
おい!
指紋を客に見せるのか!
それすら許されない!

 

とにかく、針の穴に糸を通す
小さな穴ぐらい、超細かい部分まで
徹底的に言われました。

 

神経がピリピリして
張り裂けそうな毎日を
送っていたのです。

 

それでも、ワインに惹かれ
入った世界なので、
なんとか我慢してました。

 

何度も
家に帰る途中は悔しすぎて
泣くことも多かったから
独りで帰ることがほとんどでした。

 

俺って、泣き虫だなぁと
思いました、ほんとに。

 

この25歳になって、なんで泣いてるんだ、
もっと楽しく仕事をしたいだけなのに・・・。

 

そんな気持ちも三ツ星レストラン側は
求めてない現場でした。

 

笑いはいらない、とにかく真剣に、
ピシッとやって、毅然とした態度でやる、

シェフは絶対的王様!

「ウィシェフ!!!」

という掛け声のみ会話ができない!

私語は禁止。

 

私にとっては地獄でした。

 

そんな状況が半年間ぐらい続き
なんとか我慢に我慢をして
やり続けた結果、
やっとミスがなくなりました。

 

ミスがなくなると
周りからも少しずつ信頼関係が
できるようになり
会話が普通にできるようになりました。

 

ですが、自分の人格が変わったかもしれない
そんな感覚があったのも覚えています。

 

笑わない、おもしろくないやつ
人にもやさしくしない蹴落とすのが
当たり前みたいな感じです。

 

そんなちょっと、やなヤツな人間
になったぐらいの1年経過した時

 

急におやじがガンで亡くなる

 

まさかの出来事に、何をしたらいいのか?
分からず、挙句の果て、実家には、
1000万円ほどの借金がありました。

 

薄々は気づいていた雰囲氣はありましたが
もうほとんど借金は、ないんだろうなぁ~と
思っていました。

 

そんな甘いことはなく
長男であるわたしが返済する事になり
当時のレストラン手取り13万円では、
到底返すことは
不可能であり、やむを得ず退職。

 

借金返済をしなければならない状態
という追い込まれた中

 

第3の人生~不動産会社地獄の電話営業~

 

まだ26歳でなんでもできるだろうと
楽観的な甘い考えの私が就職したのが、
不動産投資会社でした。

 

面接では、理想の未来をバンバン言われ
年収1000万円なんて「すぐすぐ」
みたいなことを言われて
希望に満ちた私は、意気揚々と入社しました。

 

ところが、全くそんなことを
聞かされてない仕事内容は

 

まさかの電話営業であり、
電話に対する恐怖心と
華やかなサービスをしていた
三ツ星レストランとは真逆!

 

たばこを吸いながら、
周りの従業員は、怒鳴り散らす社風。
雑居ビルの3階でひたすら電話営業。

 

壁には、〇〇社員 契約 〇〇千万円
あたり一面に、黄色の模造紙に
筆ペンで、デカデカと契約、契約、契約、
という紙が貼ってあり
まるでテレビのドラマにでてくるような
営業会社でした。

 

怪しい名簿と毎日にらめっこしながら
相手先からは、怒鳴られ、罵倒され
人間扱いされない、そんなカスやごみ扱いを
された世界で、また三ツ星レストランの
入社時に逆戻りしました。

 

毎日、心が折れて、
何でこんな事やってるんだよ!
レストランに戻りたい!

 

でも、借金を返済しなければならない!

 

そんな葛藤をしている状態では
営業数字も上がることばなく
な、なん、なんと、入社7か月間
全く数字が上がらず、
一度も契約ができない経験しました。

 

営業をしている方なら
分かると思いますが、
精神的にも相当参り、
路頭に迷うとは、こういう事だなと。

 

またまた、精神的な苦痛を味わいました。

 

当時の部長に、肩を叩かれ

おい、やまだ、  7タコ(7か月間連続ゼロ)だぞ!

残りあと2か月(でクビ)だからな!

その代わりに、課を変えてやるから
死ぬ気でやってくれ!

 

「また死ぬ気ですか・・・。」

 

と歯科技工士時代や
三ツ星レストランでも
散々言われた、死ぬ気や本気でやれ!

 

後がないわたしは、
あと2か月だし、
やることやって、
後悔しないようにやめよう!

 

また逃げ癖がついている
私がいました。

 

ただ、技工士やレストラン時代と違ったのは
借金という重たいモノを
背負っていたので、惰性(だせい)ではなく
無我夢中に、黙々と電話をしてました。

異動した後、奇跡の1週間後

 

と課を異動した1週間の出来事でした。

 

数少ない中アポイントの中、いつも通り
「どうせ、決まらないだろうなぁ~」と
感じながら、
異動した課長が同行し
交渉してくれたのですが・・・。

えっ?うそ、
買付(申込)をもらう話になり
明後日、契約の段取りに・・・。

 

何、これ?マジか、うそでしょ?

そして、契約日までに
キャンセルもない状態で
サラッと契約をしてくれました。

 

その時は、鳩が豆鉄砲を食ったような
放心状態でした。

 

え、何で、何で、
どうして、買ってくれるの?
今までは、かすりもしない交渉が
嘘のような瞬間でした。

 

いまでも覚えてますが、
契約した時は、
静岡県のとあるガスト。

 

契約担当の方に説明をしてもらい
お客様は緊張し、口が渇くのか
私は何度もドリンクバーに行き
お客様のコップを入れ替えました。

 

説明が全て終了し、

 

「やまだくん、いい物件ありがとうね、
これからもよろしくね」と言葉を残し
署名押印してくれました。

 

まるで映画やテレビのワンシーン!
今でも鮮明に覚えています。

 

そんなドラマのような状態を経験し
ここから、課長の情熱とノウハウを
盗みに盗んで、あれよあれよと
立て続けに契約ラッシュになり、
翌年はトップセールスマンになりました。

 

※ここの話、どんな事を盗んだのか、
コメント頂ければ、投稿しますね。

 

ここでの盗みというのは
当時の三ツ星レストランで
徹底的な仕事内容を
盗みが活きたこと

 

過去の辛い行動が、
身になるんだと
初めて実感した瞬間でも
ありました。

 

ちなみに、
この不動産投資会社は、

 

世の中には、
アメとムチという言葉がありますが
アメはご褒美で、ムチは厳しくする
これが絶妙な会社だったのです。

 

売れる営業マンになると
アメが凄くて
海外旅行は年3回付き、
月一回の鉄板焼きレストラン
その後は、キャバクラに招待。

 

そして、歩合給は、
月一全体の朝礼があり
社員100人の前で、

 

会社の代表取締役社長が自ら
「山田社員、120万円」
おめでとう!と言われて

 

【現金渡し】

 

テレビドラマのワンシーンのような
またまた目の当たりしたのです。

 

まさにリッチな夢のような
状態が続きました。

 

ただ、借金があったので
豪遊は全然できませんでした(笑)

 

そんなアメがある状況があっても、
やはり電話営業はムチ!!!

 

ずっと続き、4年目ともなると
精神的にもきつくなりました。

 

ちょうど借金返済が終わり
子供が産まれたことをキッカケ
4年間で退職しました。

 

第4の人生~センチュリー21~

 

その後、センチュリー21系列に
就職し、一からスタート。
2人目の子供が産まれたのですが、
年収もレストラン時の
300万円台に逆戻りしました。

 

ただ、今までと違って鍛えらえた精神面は
相当なモノで、逃げることはなく
「俺はやれる!」という
自信がついていたのです。

 

そして、徐々に這い上がり、
数字と経験を積んでいき、
センチュリー21系列を3店舗渡り歩き、
2012年、センチュリー21
春のセールスラりー東京都城南エリア
第一位を獲得し、店長職になりました。

 

やっと、理想の地位や収入も
手にいれました。

 

 

部下のマネージメントをしつつも
感覚営業をしていた私は
なかなか部下の育成に苦労しました。

 

まさに、
感覚営業は教えられない!

 

なんで、「部下は同じようにできないんだ」と
当時は、この感覚営業を教えられないもどかしさがあり
完全に教えることは、諦めました。

 

そのモヤモヤした霧が全く晴れない状況は
部下の育成より
やっぱり営業を自らしたい!

 

その想いが捨てきれず
2018年に起業し、
現在に至ります。

 

第5人生~起業~そして感覚営業の卒業

 

起業してからは、
紹介営業、98%を誇り
集客とは無縁の生活を送る事が
できております。

 

そんな中、2020年に
ある心理学の先生に出会い、
心理学にはもともと
興味があったのでセミナー参加しました。

 

そうしたら、
頭を何度も何度も
殴られるぐらいの衝撃をうけたのです!!!

 

なんだ、これは!
俺が、
今まで感覚営業をしたことが
全て体系化できている。

 

いわゆる、人はすべて無意識で行っている
これをすべて言語化をしている。

 

本質(原理原則)がわかる魔法の教科書を
手に入れた気分を味わったのです。

 

そこから、猛猛猛勉強し
営業のスキルが格段にあがり、
軒並み営業数字がまたまた
上がり出したのです。

 

そして、こんな気持ちが湧き始めたのです。

 

世の中に、同じように
感覚営業や直感営業で
自分と同じように苦しんでいる

 

セールスマンが
たくさんいるんじゃないか!?

 

この内容を伝えたら
どれだけの営業が救われるだろう!

 

自分と同じように
「もっと早く知りたかった!」
絶対にそう思うのではないか!

 

本気で考えて、考えて、考えて
このブログを立ち上げる事にしました。

 

この熱い想いが
一人でも多くのセールスマンに
届いたら幸せです。

 

ここまでの長文を読んで頂き
本当にありがとうございました。

 

~経歴~不動産

不動産投資会社 勤務
1日300件の地獄の電話営業
入社7か月間 連続ゼロを経験
残りの2か月クビ⇒1週間で契約
⇒翌年トップセールスマン

センチュリー21に転職
2012年 春季セールスラリー
城南エリア1位獲得
店長になる

その後、起業・独立。

2019年からは、不動産営業をしつつ
講師業も兼任。

2019年12月、全国講師オーディション
ファイナリスト進出
フジサンケイビジネスアイ賞 受賞。

★★★★★★★★★★★★★★

保有資格

宅地建物取引士

住宅ローンアドバイザー

ファイナンシャルプランナー2級

商号       株式会社レジペアーズ
代表取締役    山田 泰史

ブログ責任者

所在地      〒141-0031

東京都品川区西五反田3-15-6 リードシー目黒不動前6階

TEL                          03-5482-3023
Mail                          info.kanri@web-sales.online
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